ユウさんとドラッグの関係
ユウさんは学生です。そして、いまとても好きな人がいます。恋人のような違うような、けれど特別な人です。その人とは会って遊んだりご飯を食べたりするし、どちらかの家でセックスすることもあります。
あるとき、セックスが気持ちよくなるからと言われ、その人の勧めでユウさんはドラッグを使いました。自分も楽しかったし、その人がとても気持ち良さそうで楽しそうだったことも、嬉しいことでした。だから、その後も同じような感じでセックスすることが続きました。
そういうことがあるのは月に1回程度で、その人とのセックスじゃなければ、ユウさんはとくにドラッグを使いたいと思うこともありません。
そんなユウさんに悩みがでてきました。それはセックスのとき、2人の間でコンドームを使うことがないことです。そうしたいのにと思いながらも、何となく相手に言い出せずにいます。誰かに相談したいけれど、ドラッグのことが後ろめたくて相談しにくいと感じていました。同時に、ドラッグを使うのをやめるようにとか、その人とのセックスをやめるように、と言われそうなのも嫌だと感じていました。
援助職としてどう関わることを選ぶか
これはハームリダクション東京に寄せられるものに類似する、架空の事例です。
セックスするときに(自分または相手が)コンドームを使うようにできれば、という悩みですけれど、その背景にドラッグの使用があります。
ドラッグ(薬物)使用に関連する支援として、薬物依存症の治療や回復があります。これは、依存症への取り組みで、薬物の使用をやめていくためにどうするか、どう暮らしていくか、ということが主たるテーマになることが多いです。こうした支援は地域になくてはならない非常に重要な支援です。
ユウさんがもし薬物に依存している状態で、それを何とかしたいというのであれば、役立つものになるでしょう。ただし、いまのユウさんには当てはまる感じがしません。ユウさん自身がそこに関心を寄せないとしても無理のないことです。一方で、ユウさんは現在のドラッグ使用にはリスクがあると心配しています。ですので、ユウさんが被るかもしれないダメージ(害:ハーム)を減らす関わり方、つまりハームリダクションは、いまのユウさんに役立つと考えられます。
ジェンダー・セクシュアリティは多様で豊かです。性感染症などのダメージと異なりますが、身体的な性別の組み合わせによっては、コンドームを使用しないセックスで女性は受精して妊娠する可能性もあります。計画していないなか妊娠することで、女性側の負担が非常に大きくなることがありますので、その予防を考えることもとても重要です。
ハームリダクションの選択肢
ハームリダクションに基づいて考える時、ユウさんには少なくとも次のような選択肢があります。
- (その人とは)ドラッグを使用しない
- (その人とは)セックスをしない
- (その人との)より安全なドラッグの使用
- (その人との)より安全なセックス
どうしたらコンドームを使えるか?という悩みに対して、そもそもドラッグを使うのをやめましょう、というのは、選択肢の一つとしてないわけではありません。ただし、選択肢なのだから他にも選べるものがあるということです。例えば、より安全にドラッグを使ってセックスするという選択肢です。現時点でのユウさんの視点に立てば、そうした選択肢のほうがいますぐ役立つもの、実用的なものであると思ってもらえそうです。
ユウさんの視点で、実用的な選択肢
ひとつの選択として、より安全なセックスをするためにできることがあります。ユウさんがコンドームを使用したいと思っていること、その背景にある不安や心配ごと、そうしたことを相手の人に話しにくいと感じるポイントがどこにありそうか、援助職者は一緒に考えることができます。相手の人に話す練習をすることもできるかもしれませんし、その話をするタイミングについて考えてみることもできます。他にも、コンドーム以外で少しでも安全にできそうなセックス手段を話し合うこともできます。
より安全なドラッグ使用という点で会話することもできるかもしれません。例えば、ドラッグの摂取方法に着目します。経口の場合もあれば、炙っている、注射している、あるいはカプセルに入れて性器や直腸に挿入する方法などもあります。
炙りや注射の場合はなにかしらのグッズを使うことになります。もしグッズを共有しているということであれば、血液由来の感染症(HIVやC型肝炎など)にかかるリスクがあるかもしれません。共有しない方法ができそうか、共有が避けられないときに、グッズを消毒することができそうか、などを話し合うこともできるでしょう。
感染症の予防のため、注射器や(炙りのための)パイプを配布する支援が、代表的なハームリダクションのひとつとして、海外の多くの国で実施されています。もしユウさんがそういう地域に暮らしていれば、このサービスも受けることができたでしょう。今の日本にはありませんが、少なくとも器具を消毒する方法を教えることはできますので、より多くの援助職者がそうした知識やチャンスを持つことが期待されます。
NYANでは、援助職者向けのハームリダクションに基づくワークショップを実施しています。そのなかでドラッグを使うグッズの消毒方法についても取りあげています。ご関心などございましたら、ご遠慮なくお問い合わせくださいませ。
Chemsexでのハームリダクション
ドラッグを使用しておこなうセックスを“Chemsex”(ケムセックス)と、とくにゲイコミュニティを中心に表現されることがあります。Chems(化学物質=ドラッグ)&セックスを意味する造語です。
Chemsexにおけるハームリダクションとして、次のようなアイデアがあります。
- プレイの同意や感染予防についての会話は、ドラッグを使う前に。
- 少しずつ、様子をみながら(効くまで予想以上に時間がかかる場合があるから)。
- 自分は自分のペースで、他の人はその人のペースで。
- アルコールや他のものとできるだけミックスしない。
- 自分が使うものは自分で用意したり確認したりする。よくわからないときは、少しずつ。
- グッズを共有しないようにする。共有する場合は、ハイターなどでしっかり消毒する。
- 具合が悪い、相手の具合が悪そう、というときは休息。
- 異常を感じたら(自分でも他の人でも)、ためらわずに119番(命が一番たいせつ)。
ChemsexをChemsafe(ケムセーフ。より安全な“ドラッグ+セックス”)にしようと、ゲイコミュニティを中心に国際的に支援の重要性が高まっています。日本を含め共通するのはChemsexでは、覚せい剤を含むアンフェタミン/メタンフェタミンというドラッグがよく使用されることです。
ここで紹介したアイデアも、さまざまな海外の支援団体が発信しているメッセージをもとに、まとめたものです。そうした支援サービスがある国でも、覚せい剤などのドラッグの使用や所持が違法であったりします。けれども、本人の健康や命を守るため、ハームリダクションのサービスを提供するピア(当事者で支援する人たち)や援助職者たちが活動しています。
ユウさんにとってのハームリダクション
さて、ユウさんの場合ですけれど、相手の人とのChemsexが続く可能性があります。それはハームリダクションによる支援(相談)があってもなくても変わりありません。しかしながら、支援につながったことで、感染症にかかるなど健康のダメージを予防できる可能性が高まったと言えます。そして、性感染症の予防という点では、ハームリダクションはユウさん個人の健康だけではなく、公衆衛生の向上に貢献しています。
今後また困りごとがでてきたときでも、こうした支援先なら相談しやすいと感じてもらえるかもしれません。反対に、もし地域にハームリダクションがなければ、ユウさんが気楽に安心して相談できる場所がなく、健康を害するリスクが高まる可能性があります。
しばらく経過して、この人との関係が終わり、もうChemsexをすることがなくなる、ということもあるでしょう。反対に、Chemsexの回数が増えたり、他の人ともするようになっていく、ということもあるかもしれません。ただそういうときでも、つながっている支援先があれば、そこに相談するなかでドラッグの使用を調整したり、あるいは止めるための治療や回復支援につながるサポートを受けたりしやすくなります。つまり、ハームリダクションは依存症の予防と早期発見・早期介入の役割も果たすものとなります。
より良い社会になるためのハームリダクション
現状では、違法なドラッグの使用であれば、ユウさんは逮捕されることがあるかもしれません。もし捕まるとユウさんに対して警察、検察、裁判所、場合によっては保護観察や刑務所などの複数の刑事司法機関の介入が生じます。そのなかでユウさんに対して違法な薬物の使用をやめられるように、と再犯防止のための司法サービスが提供されることもあります。
ユウさんが逮捕されることなく、地域でハームリダクションの支援につながりながら暮らしていける社会と、ユウさんが逮捕・勾留され(退学になる場合もあります)、犯罪者というレッテルを貼られて暮らしていくことになる社会と、どちらのほうが暮らしやすい社会と考えられるでしょうか。
自分自身が、あるいは自分のそばにいる大切な人が、ユウさんと同じような状況にあっても何も不思議ではありません。
司法介入に費やされている公的負担の一部を、地域のハームリダクション支援に充てることができれば、地域の公衆衛生は向上できることになるでしょう。同時に刑事司法面でも、より社会的ニーズが高く、薬物使用と異なり加害行為が伴う(被害者が存在する)他の犯罪への介入に注力できることになります。
つまり、社会の向き合い方が変わることは、ユウさんにとってだけではなく、社会全体にとってもより暮らしやすい社会になると考えられます。こうした薬物政策の転換を非犯罪化と呼びます。
ユウさんのように学生で、生活のなかでドラッグが身近になることは、誰にでも起きることがあり得るでしょう。そのとき、逮捕されて生活が大きく一変してしまうことなく、そして心身の健康をできるだけ害することなく過ごせるように、地域で活動する援助職者として、支えることができればと考えます。
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