コロナ禍で起きていること
先行きの見えないコロナ禍が続くなかで、命が失われたと伝わってきました。深刻な危機的状況に陥っているということも。コロナに感染したからではありません。薬物に対するスティグマによるものです。この社会の新型コロナへの向き合い方と、薬物に対する向き合い方が重なって見えます。
今の薬物対策は、命を守ることができているのでしょうか。
日本の薬物対策はうまくいっているの?
このように考えている人は割とたくさんいるように思えますが、はたして、本当にそうでしょうか。
薬物の個人使用を、3つに分類して考えてみます。
- 違法な薬物の使用
- 処方薬や市販薬(ガスなどの揮発剤も)などを医療目的を超えて、または遊びで使うこと
- ❶と❷の両方をすること
薬物を使っている人の数が少ない、とするならば、この❶+❷+❸の合計が少ないということになるはずです。
注:ここで取り上げるのは、薬物の個人使用に関する対策についてです。軽微な量ではない営利目的の製造や取引などは除きます。
薬物を使う人が少ないというエビデンスはない
❶の人数は?
答え:把握できていません。国が2年に一度調査しているのですが、ほとんど数値が出ません。たとえ無記名の調査でもわざわざ違法薬物を使ったよ、と正直に答える人が多いようには思えません。
❷の人数は?
答え:把握できていません。例えば処方薬だと、健康保険制度が整っているので、多くの人が安価で入手することができます。実態の把握はなかなか難しそうですが、医療機関などの調査で報告されるようになってきました。
そして❸については、❶と❷が把握できていないので、こちらの実態も掴みにくいのが現状です。
❶に限れば、他の国々と比べて日本は比較的少ないのかもしれません。一方で日本のように健康保険制度が整っている国は少ないので、❷のような行為が❶ほど注目されることがあまりないようです。日本では保険が効くし、違法薬物ではないから、おそらく❶より❷に当てはまる人のほうが多いのではないかと想像できます。
つまり、❷の人数を他の国と比べたら、日本は突出して多い国なのかもしれません。
なので、
日本の薬物対策ってある程度うまくいってるほうじゃない?
薬物を使っている人の数が少ないから。
という場合は、おそらく❶だけに注目している、という印象を持ちます。本来ならば、❶〜❸の合計で考える必要があるはずです。とはいえ、実態がよくわからないので、結局のところ多いとも少ないとも言いづらいです。
薬物を使う人数よりもっと重要なこと
実際のところ、人数が多いか少ないかはそれほど重要ではない、とも考えられます。人数を把握することは、状況を知るのに役立つこともありますが、それだけで判断するのは不十分と言えます。
なぜなら、こういうことが起きているからです。
例えば、(違法の)薬物を使う人の数は比較的少ないけれど、そこ(社会Aとします)では、
薬物を使う当事者やその人の家族たちのなかで
- メンタルヘルスの不調が多い
- オーバードーズや心身の不調でで命を落とす人、深刻な状況になる人が多い
- 感染症にかかる人が多い
- 貧困に苦しむ人が多い
- 孤立している人が多い
- 差別や偏見が強くて、つらい思いをしている人が多い
また、その社会のなかでは
- 薬物に対する差別や偏見が強い
- 薬物を使う人や家族が安心・安全に相談できるところが少ない
- 薬物を使う人も受けられるような福祉・保健・医療や生活支援に比べて、麻薬捜査・刑事裁判・刑務所・保護観察などの司法に圧倒的に多くの税金が投入されている
もしこういう社会であれば、たとえ人数が少なくても、看過できない問題や改革できる課題が多く含まれていると言えます。
反対に、違うところ(社会Bとします)では、薬物を使う人の数は社会Aよりも多いのだけれど、
薬物を使う当事者やその人の家族たちのなかで、
- 生活やメンタルヘルスに問題を抱えている人が少ない
- オーバードーズや心身の不調で命を落とす人、深刻な状況になる人が少ない
- 感染症にかかる人が少ない
- 孤立している人が少ない
- 差別や偏見をほとんど感じていない
また、その社会のなかでは
- 薬物に対する差別や偏見が弱い
- 何かあったときに安心・安全に相談できるところが身近にある
- 薬物を使うことがない人と、暮らしやすさに差がない
- 人権が尊重されている
- 差別や偏見を感じることがほとんどない
- 地域福祉・保健・医療や生活支援に十分に予算がついている
もしこういう社会であるとしたら、本人や家族は暮らしやすいだろうと思えます。
薬物を使用している人数は、社会Aのほうが少ないのですが、どちらの薬物対策のほうが評価できるものになるでしょうか。単に人数が多いか少ないか、○○という薬物が出回っているかどうかということ以上に、個人の生活や健康、社会的な問題が大きいか少ないかで捉えることこそが重要であるべきです。
薬物使用者が犯罪者にならない社会
薬物を使っている人が多いってことは、それだけ犯罪者が多いってことにならない?
そういう疑問を抱くかもしれません。けれど実際のところ、そうはなっていないことが多いでしょう。なぜなら、社会Bのような環境が実現できているということは、たとえ薬物の個人使用やそのための所持が規制されていたとしても、そのことを犯罪とはみなさない”非犯罪化”という対策を実施していると考えられるからです。
「非犯罪=犯罪ではない」、ということなので、たとえ薬物を使っている人がそれなりにいるとしても、そもそも犯罪者としてカウントされません。もし使っている人が薬物を使うなかで何か困ることがあれば、地域の生活支援や、福祉・保健・医療でサービスを受けます。そうした社会では、“犯罪者”というレッテルもなくなっているし、環境も悪化していないし、より暮らしやすい社会になった、ということになります。もし非犯罪化したことで状況が悪化したのであれば、その政策を取り止めているはずでしょうが、そうした話を聞いたことはまだありません。
なかなか想像できない、と感じる人もいるかもしれません。けれど、日本も一部そうなっています。薬物の問題の❷、処方薬や市販薬などを医療目的を超えて使うことは、犯罪ではありません。何か困ったことがあれば地域のサービスを利用することができます。
排除こそダメ。ゼッタイ。
それでも日本は人数が少ないから、薬物対策はある程度うまくいってるほうでは…?
そういう見方もあるかもしれませんが、やはりここで重要になるのが、人数の多い少ないで考えることの危うさです。なぜなら、そこに排除があるからです。
もし社会Bのようになっていて、そのうえ人数も少ないというのなら、それは素晴らしいことかもしれません。けれど、前述のように、たとえ人数が少なかったとしても、日本が社会Bに近いようには到底思えません。
日本では違法の薬物は重い犯罪とされ、使う人は極悪人かのように見られます。そして家族など身近な人は、極悪人の家族という扱いを受けます。ここに現れているのは、厳しい薬物対策が生み出すスティグマ(悪いものとして象徴づけられること)です。そしてこのスティグマにより人々の心に薬物に対する差別と偏見が強まり、社会的な排除が起きています。
違法な薬物を使う人、使っていた過去がある人、あるいはそうした人の家族など身近にいる人と関わることがあれば(あるいはその立場になれば)、いかに根深い差別や偏見に晒されているか、排除されているか、目の当たりにすることになるでしょう。
強いスティグマによって、社会的に排除したから結果的に人数が少ない、対策がうまくいっている、と胸を張ることがどうしてもできません。むしろ、胸が痛みますし、このことを看過してはいけないという思いが強く湧き起こります。
新型コロナと薬物の撲滅をめざすことの問題
新型コロナウイルスも薬物も、この世界からなくなれば問題解決?
そういう考えもあるかもしれません。しかしながら、新型コロナウイルスと薬物を同じように捉えることができるのか悩みます。
新型コロナウイルスに対する取り組みなら、それが人から人に感染し、重病になったり命を落としたりする人がいるので、ウイルスがなくなることを目指す、ということはよくわかります。では薬物はどうでしょうか?
薬物は、薬・クスリ・ドラッグなど、どのような呼び方もできるものです。薬物はただの物質にすぎないので、人から人に感染するということはできません。
むしろ、新型コロナウイルスにかかった人など、病気の治療のために使うのが「薬」です。薬は病気を治すほか、健康状態や気分を良くしたりするためにも使われます。なので、現代の人類社会から「薬」が無くなるべきだと目指すことは、現実的とは思えません。
違法な薬物だけ無くなれば、という考えもありそうですが、何が違法かどうかはそもそも国や地域によって異なるので、統一することも現実的ではありません。
新型コロナと薬物に共通する“人の排除” 問題
一方で、新型コロナウイルスと薬物に共通するところもいくつかあります。
ひとつめは、撲滅しようという姿勢が人の排除につながっている点です。
コロナの場合、ウイルスを消し去るという目的が、感染した人、感染しているのではないかと勝手に思われる人や集団などを排除することにつながっています。また、経済的な支援策のなかにも、差別や偏見のせいで支援の対象から除外されるといった集団排除が起きています。
薬物もまた、薬物を撲滅しようという非現実的な目標のため、薬物を使用する人を排除する、その人の身近にいる人たち(家族など)を排除する、ということが起きています。
職場や学校にいられなくなる、現住居にいられなくなる(けれど、転居することもできずに苦しむ)、悪人だと世間にさらされる、そういったことがこれまでもずっと起きています。
さらに薬物に関しては、使用する人のなかで一部の人たちが依存症になることがあります。国は薬物依存症が精神障害のひとつであるとしています。障害を持つ人たちが、その障害(依存状態にある薬物の使用)を理由に社会から排除されることは、人権の侵害でありあってはならないことです。
この場合、個人を排除するのではなく、障害の有無に関係なく誰もが暮らしやすくなるように、社会が変化する必要があります。
新型コロナと薬物に共通するスティグマの“感染” 問題
もうひとつ、新型コロナウイルスと薬物の共通点があります。キーワードは感染*です。新型コロナウイルスと薬物はともに、スティグマが人から人に“感染”拡大していると言えます。人はもともとスティグマを持っているものではありません。何かを見たり聞いたり、学習していくうちに、自身のなかにスティグマが宿りはじめると言えます。
*スティグマの感染は、東京大学 先端科学技術研究センターの熊谷晋一郎さんのお話に感銘を受けて、着想を得たものです。
新型コロナウイルスでは、例えば感染した人に対して、予防行動をきちんととらなかったとして、非難が向けられます。そこにはスティグマ(悪いことをしたと象徴づけること)が出現しています。
薬物においては、法律や政策により、使用することを乱用と呼ばせ、それが悪い行為・犯罪行為だとラベリング(レッテル貼り)をしています。
個人が自ら猛毒を飲んだとしても、それは乱用と呼ばれないし、悪事・犯罪行為だとはみなされません。ある一部の物質だけ、それを自ら体に取り入れることを、乱用としているのです。その結果、薬物を使う人は極悪人であるとラベリングされます。そこにスティグマが発生しています。
社会に漂うスティグマが個人の思考の中に宿り、差別や偏見を含んだ言動が生み出され、まるで飛沫のようにスティグマに汚染されたメッセージが放たれ、それを見聞きした人たちは新たにスティグマを抱きやすくなったり、もともとあったものが強化したりして、そうして差別と偏見が蔓延していきます。
薬物汚染というような表現が用いられることがありますが、日本は薬物に対するスティグマ汚染が深刻に広がっている状態にあると思えます。
スティグマから命を守るために今できること
コロナ禍のなかで、薬物使用がある当事者たちや家族たちのコミュニティから、命を落としたという話がすでに出ています。今、より深刻な危機的状況に陥っている人たちもいます。苦しめているのは、薬物そのものというより、むしろスティグマです。困りごとがあってもSOSが出せなかったり、支援につながることが難しかったりして、容易に孤立してしまいます。
社会が変わること、そして新たな視点で支援をすることは、待ったなしで進めていく必要があります。
スティグマを解消していくことが不可欠です。学習したことでスティグマが宿ったのならば、思考し、新たに学び、学習をアップデートすることができるはずです。対話することで学びが深まればなによりです。
さらに取り組めることが2つあります。ひとつは、スティグマを生み出している薬物の政策や法令を、アップデートしていくこと。この変化はすでに少しずつ起きています。
もうひとつは、薬物使用に対する支援のあり方が、より多様になること。現在、薬物依存症の治療・回復についてさまざまな支援があります。そこに加えて、いまの日本に欠落している薬物使用に対する公衆衛生的な支援、薬物使用がある当事者を中心とした支援(ハームリダクションの呼ばれます)が発展していくことが不可欠です。
今後、このサイトではこうした取り組みに関して積極的に取り上げていきます。それがNYANのミッションであり、命を守るために今できることだからです。
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読んでくださり、誠にありがとうございます。ドラッグや薬物に何かしら関わっていらしたり、関心をお持ちでいらっしゃることと察します。コロナ禍と、根深い薬物へのスティグマ禍のなか、安心と安全を心から願ってやみません。
日本の薬物対策ってある程度うまくいってるほうじゃない?
薬物を使っている人の数が少ないから。